本サイトでは、ヒマラヤ保全協会のトップページに今までに掲載された写真を紹介します。
<地すべりが発生し、村に危険がせまる>
ヒマラヤ山岳地帯では地すべりが多発し、村々に危険がせまり、住民の命がおびやかされています。写真は地すべり地の最上部を撮影したものです。土地に亀裂が入っているのがわかります。この亀裂は、地すべりのうしろ側にあることから「後背亀裂」といいます。後背亀裂の前面の土地は今まさに下方へ(矢印の方向へ)すべりおちようとしています。くずれ落ちた土砂は集落をおそい、村に災害をもたらします。ネパールでは毎年、何百人もの人々が土砂災害で命をおとしています。(ダウラギリ地域・ベガ村にて、人物はダン=クマール先生、2008年5月) |
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<収入向上のために織物プロジェクトをすすめる>
ヒマラヤ山村には産業がないため、現金収入が得られず住民はこまっています。そこで、森林資源を活用して織物をつくり販売するプロジェクトを開始しました。具体的には、地域に多数自生するイラクサ(現地語でアロ)をつかいます。人物は、真剣な眼差しで試作品を検査するガンマヤ=ガルブザさん。ガンマヤさんは、サリジャ村の織物指導者の一人として活躍しています。(2009年1月) |
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<森林が後退すると土壌流出や斜面崩壊がおこる>
山岳地帯のヒマラヤでは、森林が後退すると土壌流出や斜面崩壊が頻繁に発生し、村は危険にさらされ、下流域にも悪影響をあたえます。写真は、新プロジェクト候補地のベガ村の土壌流出の現場です。土壌がなくなり基盤岩が露出しています。今後、植林活動をすすめなければなりません。人物は、きびしい現実を見つめる地元のダン=クマール先生です。(2008年5月) |
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<ヒマラヤ保全協会のネパール人スタッフ、チトラ=プンさん(左)とご家族>
「ヒマラヤ保全協会の皆さん、こんにちは。ヒマラヤ保全協会ネパールのフィールドスタッフをしているチトラ=プンです。私は、日本人スタッフや専門家、また山岳エコロジースクール参加者の皆さんと一緒にいつも事業地をあるいています。ヒマラヤ山中における植林・環境保全活動は大変きびしい仕事ですが、今後とも頑張っていきたいとおもっています」(2005年10月) |
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<ダウラギリ(奥)とプンヒル(手前)に朝日がさしこむ>
写真はトレッキング中にたちよる景勝地プンヒル(3,193m)からダウラギリ山(8,167m)をのぞんでいるところです。プンヒルには山岳エコロジースクールでたちよります。山岳エコロジースクールでは、ヒマラヤをトレッキングし自然環境の多様さを体験し、また、ネパール山村にホームステイし、山の暮らしから環境をまもることの大切さをまなびます。(2007年12月) |
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<「ナルチャン村の苗畑運営は軌道にのってきました」>
「ヒマラヤ保全協会の皆さん、こんにちは。ナルチャン村の苗畑を管理しているサハビール=ガルブジャです。いつもお世話になっております。ナルチャン村の苗畑運営は軌道にのってきました。これからはミカンなどの果樹にも力を入れていきます。今後ともよろしくおねがいします」(2008年2月) |
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<ネパールの6~9月は”モンスーン”とよばれる雨季である>
ネパールの6~9月は”モンスーン”とよばれる雨季にあたり、乾季はと気候が明確に区別されます。”モンスーン”は、元来は季節風の意味であり、ヒマラヤ山脈はその形成に大きな役割を果たしています。アジアの自然環境を理解するうえで”モンスーン”はとても重要です。(写真:カトマンドゥ、アサンでの豪雨の様子、2007年8月) |
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<ネパール西部中間山地にはマガールの人々がたくさん暮らしている>
ヒマラヤ保全協会が活動しているネパール西部のヒマラヤ中間山地には、マガール人がたくさん暮らしています。私たち日本人が事業地をおとずれる時はいつもホームステイをさせてくれます。現地の人々とともにあゆむことにより、つよい信頼関係が生まれます。(写真:ミャグディ郡ラムチェ村のガルブジャさんご家族、2007年8月) |
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<1500haの森林を再生する>
キバン-ナンギ地域の植林プロジェクトにより約1500ha(東京都渋谷区に匹敵する面積)の森林を再生しました。(写真:シーカ村付近、2008年5月)> 40年前との比較写真はこちらです |
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<「私たち住民が森をしっかり管理し、まもっていきます」>
キバン-ナンギ地域の植林プロジェクトを終了し、苗畑を各村にハンドオーバーしました。12年間で約70万本の植樹をおこないました。今後は、村人みずからが森林を管理し、まもっていきます。(写真:森林委員のメンバーのジャス=バハドゥール=ティリザ=プンさん、サン=バハドゥール=ガルブザ=プンさん、ジュム=バハドゥール=ブドゥザ=プンさん、キバン村の苗畑にて、2008年5月) |