本サイトでは、ヒマラヤ保全協会のトップページに今までに掲載された写真を紹介します。

苗畑管理人
<ドバ村の苗畑管理人、セル=バハドゥール=ガルブザさん>

「皆さんこんにちは。ヒマラヤ保全協会の新事業地のひとつドバ村で、苗畑の管理運営の責任者をつとめているセル=バハドゥール=ガルブザです。ドバ村では、今年約1万本の植樹を計画しています。日本の皆さんのご協力にとても感謝しています」事業をすすめている各村において、苗畑管理人のみは、ヒマラヤ保全協会によってフルタイムで雇用され給与を支給されています。背後は、あらたに建設された苗畑です。(2010年3月)

ダウラギリ(標高8167m)
<ダウラギリ(標高8167m)>

西ネパールにあるダウラギリ(山)は世界第7位の高峰であり、サンスクリット語で「白い山」の意味です。西にツーリベーリ(川)、東にカリガンダキ(川)がながれています。1960年に、スイス隊(M.アイゼリン隊長)が軽飛行機をつかって北東稜から初登頂しました。1970 年には同志社大学隊が第2登をしました。ヒマラヤ保全協会は、このダウラギリのふもとでの植林事業を本年度から本格化させていきます。(早朝、プンヒルから撮影)。(2009年12月)

ヒマラヤ保全協会ネパール事務局長、ナル=バハドゥール=プンさん
<ヒマラヤ保全協会ネパール事務局長、ナル=バハドゥール=プンさん>

ナル=バハドゥール=プンさんはヒマラヤ保全協会ネパールの事務局長であり、現地事業の実務面すべての責任者です。ヒマラヤ保全協会ネパールは、ヒマラヤ保全協会のカウンターパートとして1997年に設立され、現在、事務局長をふくめ3名の常勤スタッフがいます。写真は、ヒマラヤ保全協会事業地の一つのサリジャ地区で苗木の剪定をしているとことです。(2010年1月)

コプラ・リッジ(3600m)から見たヒマラヤ保全協会の事業地
<コプラ・リッジ(標高3600m)から見たヒマラヤ保全協会の事業地>

コプラ・リッジ(3600m)からはヒマラヤ保全協会の事業地が一望できます。カリガンダキ(川)の東側(写真左側)はアンナプルナ地域、西側(写真右側)はダウラギリ地域です。カリガンダキ(川)はヒマラヤ山脈を南北にきる巨大な地溝帯になっています。ヒマラヤ保全協会は2009年度よりダウラギリ地域(ドバ-ベガ地区)において あらたな植林事業を開始しました。(2009年11月)

サリジャ村の女性グループが紙漉事業をすすめる
<サリジャ村の女性グループが紙漉事業をすすめる>

ヒマラヤ保全協会では、生活林プロジェクトの一環として紙漉事業もおこなっています。地域の森林資源を有効に活用して紙をつくり販売すれば貴重な現金収入がえられ、地域の活性化にむすびつきます。彼女たちがもっているのは、紙漉のフレームの中で乾燥されるネパール特産ロクタ紙です。(サリジャ村、2009年1月)

新プロジェクト地・ダウラギリ地域で生活林プロジェクトを開始する
<新プロジェクト地・ダウラギリ地域で生活林プロジェクトを開始する>

カリガンダキ川西岸、ダウラギリ地域に位置するドバ村において、生活林プロジェクトをあらたに開始しました。ヒマラヤ保全協会は計画通り、従来のアンナプルナ地域から西方へ事業地をうつしていきます。写真はドバ村の集落です。(2009年5月)

ヒマラヤ保全協会創設者の川喜田二郎先生が永眠されました
<ヒマラヤ保全協会創設者の川喜田二郎先生が永眠される>

ヒマラヤ保全協会創設者・同名誉会長の川喜田二郎先生は7月8日、89歳にて永眠されました。ここに生前のご厚情に対して深謝し、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(写真:ヒマラヤ保全協会ネパールのスタッフとともに、1997年にポカラにて、ネパールの皆さんにKJ法を指導された折りに撮影)

サリジャ村ではサカムニ=コラザさんが苗畑管理人をつとめる
<サリジャ村ではサカムニ=コラザさんが苗畑管理人をつとめる>

「皆さん、こんにちは。サリジャ村の苗畑管理人のサカムニ=コラザです。管理人になって4年になります。毎日頑張っています。これからも、皆で協力して苗木を育てていきたいとおもっています。ご支援ご協力をよろしくお願いします」(2009年1月)

ロクタの苗木がすくすくとそだつ-
<ロクタの苗木がすくすくとそだつ>

ロクタの苗木の栽培をはじめました。ロクタの樹皮からは紙をつくることができ、それを販売することにより、住民は現金収入を得ることができます。ヒマラヤ保全協会は住民の生活改善に役立つ苗木も積極的にそだてています。(2009年1月)

17年ぶりに感動の再会をはたす -山岳エコロジースクール-
<17年ぶりに感動の再会をはたす -山岳エコロジースクール->

1992年にシーカ村で開催された第1回山岳エコロジースクールに参加者したNさんは、先に開催された第15回山岳エコロジースクールに参加し、シーカ村の当時のホームステイ先のトゥル=バハドゥール=ランティザさんと、実に17年ぶりに感動の再会をはたしました。当時の家はトレッカー用のロッジに現在はなっており、あたりはすっかり様変わりしていました。(2008年12月)