ヒマラヤ・トレッキング
ヒマラヤ・トレッキング

今回のスタディツアーでは、ヒマラヤをトレッキングし、ヒマラヤ保全協会の事業地のひとつであるサリジャ村をめざしました。写真は、途中休憩のひとこまです。

エコ・ライフ in ヒマラヤ

テーマ「森林保全と参加型村落開発」

百聞は一見にしかず、国際協力の「フィールド」へ! ヒマラヤ保全協会のネパール事業地を訪問し、国際協力の現場を見学、植林などの環境保全活動に参加します。今回は特に、「フィールドワーク」に焦点をあて、異なる自然環境・文化・社会の中につかり、日本からでは見えにくい現地の様子を、自分の目で確かめ、心で感じ、地球の未来を考える貴重な時間をつくりだします。

山岳エコロジースクール(エコツアー)のポイント

国際協力の現場を「フィールドワーク」!
ヒマラヤ保全協会の活動現場をフィールドワークします。この「出会い」と「発見」を通して、自らを成長させることができます。専門家による、フィールドワークのノウハウに関する指導もあります。

植林ボランティアとして、村人とともに汗を流す、感動!
ヒマラヤ保全協会がすすめている植林などの現地活動にボランティアとして参加、村人と交流し、ともに汗を流し、森林保全や村づくりに貢献します。

ネパール山村の民家にホームステイ、24時間生活丸ごと体験!
現地の家庭でのホームステイで、村人の普段の生活にふれ、異文化を体験できます。ホームステイを通して、その国の本当の姿が見えてきます。

> ヒマラヤ保全協会の山岳エコロジースクール(スタディツアー)全般の解説はこちらをご覧ください!

【日程】2008年2月11日(月)~2月23日(土)> くわしい日程&プログラムはこちらです[PDF]
【研修地】ネパール西部、アンナプルナ山麓~パルバット郡サリジャ村・ナンギ村

参加者の感想

一秒たりとも無駄にできない毎日

ナマステ!

 会う人会う人みんなに「ナマステ~!」薪運び中のおばあさんも頭から両手をはなして「ナマステ~!」私は何回ナマステと言ったのだろう?私はいくつの優しく温かい笑顔に出会ったのだろう?「こんにちわ!」って日本では毎日そんなに使わない。知らない人だったら目も合わせない。同じ“こんにちわ”なのに日本では自然に、素敵な笑顔があふれるあいさつをしているかなぁ…。日本でも旅人になったつもりで周りの景色を見て感じて、出会う人にも素敵なあいさつをしたいと思いました。
 トレッキング中は少し歩いただけで暑く、足元は牛のふんだらけ!しかし周りに咲く花や緑が美しく、時々の休憩がとてもきもち良く感じました。
 サリジャ村に到着し、歓迎会に見させて頂いたネパールの踊りは、リズム感もよく、のってしまうほどでした。化粧の仕方や衣装にも特徴があり、文化の違いって面白いなと感じました。そのダンスはとても綺麗で感動し鳥肌が立ちました。彼女たちがネパールの伝統的なダンスを外国人に見せて、外国人を感動させることが出来るなんて素敵なことで、文化を大切に守っていることはもっと素敵なことに感じました。そう考えたら、私も日本の文化を守り、身につけ、外国人を感動させ、日本に興味を持ってもらえるように何かをやろう!と思いました。
 それぞれのホストファミリーの家に行くときに、私の重たいリュックをかつぎ、どんどんと歩くたくましい女の子!辺りが暗いこともあって、この家お母さんだと思っていた子が16歳で、私よりも年下だと知ったときは驚きました。サリジャ村の女性はみんな元気で男に負けず、たくましく、私も負けてられない!と気合が入りました。
 便利な電化製品に囲まれた国に生まれ、そんな環境の中に育った私は、電気さえ来ていない村での生活に興味があり、わくわくしていました。夜は囲炉裏の火が温かく、安心感を与えてくれました。ホストファミリーとみんなで囲むその小さな集まりは、初めての海外できっと心身ともに緊張と疲れがたまっていたはずのわたしの心と体をホッとさせてくれました。私は、食事中にテレビに集中して会話の少なくなった家族団らんの生活より、みんなで囲炉裏を囲んでおしゃべりしながら笑ったり、考えたりする生活のほうが幸せなのではないかと感じました。
 お母さんの作るダルバート!どこの家も同じようでしたが、ご飯が大盛で、長時間のトレッキングでお腹がペコペコだった私にとっては嬉しい限りでした。しかしお母さんも子供も結構な量をペロリとたいらげてしまい、その分たくさん働いて、たくさん動いているのだなと思いました。
 朝が苦手な私ですが、“はと”と“にわとり”の騒がしさにはいつまでもじっとしていられない朝が来ました。早起きしたつもりが、家族のみんなはもうとっくに起きていて、16歳のグマプンは「School!!」と言って6:30amに家を出て行きました。そのとき、「いってらっしゃい!!」と言いながらも、毎日毎日こんなに朝早いと、冬は霧も巻いていて寒いのに…。やっぱりたくましいな!と感じました。このたくましさは、生活の中にある“運動”と、お母さん手作りのダルバートをしっかり食べる事で、健康で丈夫な体が自然とつくられているところから来ているのかなぁと思いました。“生活習慣病”という言葉がありますが、車が無い分動き、余計なものが含まれていない手作りの食事を多く摂り…と、この村では、普段の生活の中で、健康で丈夫な心と体が自然とつくられている気がしました。
 テレビや車、偏った食生活…。便利で楽しい日本での日常。しかしその便利さのせいで失われつつあるものが本当にあるのだと、実際にサリジャ村で過ごして感じることが出来ました。
 以前に植林された苗木が大きく育ち、緑が増えた箇所もあれば、植林が必要な箇所もさまざまでした。森林保全継続の収入を得るために行っている織物。
 村の女性達が、彼女達が織物をする建物についてミーティングしたり、私たちに一生懸命に織り方を教えてくれる姿を見ていると、彼女達は、森林保全のためにすべてを誰かに頼るわけではなく、自分達で収入を得られるということが、本当に嬉しいことなのだろうと感じました。
 ナンギ村の学校の図書館に“知識は使ってこそ意味がある”とありました。このスタディーツアーで知ったこと、得た知識も無駄にしないようにしなくてはいけません。スタディーツアーでの2週間は、ネパールで出会ったたくさんの色のようにカラフルで濃く、一秒たりとも無駄に出来ないほど、充実した毎日でした。 (学生)


ネパールというすばらしい国を再び訪れる日が待ち遠しい

女性チーム

 人種も言語も習慣もすべて異なる、世界一高い山々のふもとに生活の場を持つ国ネパール。飛行機がカトマンドゥに近づくにつれ、私の胸は興奮の鼓動でドキドキと止まらなかった。カトマドゥに到着してまず目に飛び込んできたのは物凄い車の量と人の数。建物の間の細い道をこれでもかというくらいのスピードで車を進めていくとにぎやかなお店が連なる“タメル”に到着した。お店の店員さんたちは東洋人の私たちを見るとすぐに「ニーハオ!アニョハセヨー!コンニチワ!」と3ヶ国語で声を掛けてくる。それほど中国・韓国・日本からの観光客が多いということだろう。にぎやかな店や人が溢れるタメルの中にも物乞いをする人や、移動販売でフルーツやポップコーンを売ってお金を稼いでいる人たちも多く見られた。そういった人たちはやはり自分の店を持つ人たちとは少し雰囲気が違い、旅前に聞いていた未だ色濃く残るカースト制というものを強く感じた。初めて味わうネパールのミルクティ、初めて食べたチベット料理は初めてのネパールで感じる独特の雰囲気も手伝ってとてもおいしく頂けた。
 次の日はいよいよポカラに向けて出発。途中のランチタイムには初めてのネパール料理、ダルバートを食べることができた。この先ダルバートの日々が続くとは知らずに私はお腹いっぱいダルバートを楽しんだ。6~7時間バスに揺られ到着したポカラは、騒然としたカトマンドゥとはうって変わってちょっとした田舎町であった。といってもレイクサイドの観光名所では英語や日本語の達者な店員たちが店を広げ、大きな声で「コンニチワー」と声を張り上げていたが、一歩町の中に入ると砂利道を放し飼いされた牛や野良犬たちが人々と一緒に生活するのどかな風景が広がっていた。そんな風景の中を散策している時間は、忙しい日々をすごす日本では感じられない、ゆったりとした時間を感じることができた。
 ポカラで1泊したあと、いよいよサリジャへ向かうため、登山口であるベニへ移動。トレッキング前の腹ごしらえにネパールへ来て2回目のダルバートを頂いた。そしていよいよサリジャへ向けて出発。歩き出しは快調、すれ違う人すれ違う人に胸の前で手を合わせて「ナマステ~」と声を掛けるのがとても新鮮で気持ちが良かった。途中、休憩したお店で飲んだチアも格別においしく、体の隅々までチアが染み渡るのがわかった。トレッキング中、驚いたことが2つあった。ひとつは山を登ったり下ったりするネパール人たちの履物だ。みんなサンダルを履いて石でごつごつした山道を登ったりくだったりしている。トレッキングシューズでがっちり足を守っている私にはとても信じられない光景であった。もうひとつは歩いている道のところどころに目に付くごみである。半端ない量のごみに加え、そのごみをよく見るといかにも他国から輸入したスナックやインスタントヌードルのプラスティックの袋なのである。誰が捨てるのか、こんなローカルな場所にこんなにごみを捨てるだけのトレッカーが来るわけもない、やはり地元の人々なのだろう。ごみのポイ捨ての現状を見たとき、こんな美しい自然に囲まれた美しい国といわれている国もさまざまな問題を抱えているのだなと実感した。
 ちょくちょく休憩をいれ、ついに7時間かけてサリジャに到着した。到着すると村人はすぐにチアで私たちをもてなしてくれ、そのあと村の伝統的な踊りで私たちを歓迎してくれた。ちゃんと伝統が次の若い世代へと受け継がれていることがとても印象的であった。村人たちは外が暗くなったにも関わらず、また日が暮れて寒さも増してきたにも関わらず私たちのためにすばらしい歓迎会を催してくれた。いくらプロジェクトのためとはいえ、突然訪れた日本人のためにこんなにも私たちを歓迎してくれたことがとてもうれしかった。

機織り体験

 そしていよいよホームステイである。ステイ先に着くと、近所の子供たちが続々と集まってきた。みんなものめずらしそうに私の顔を見て、目が合うたびにはにかむようににっこりと笑って隠れてしまう。しかし万国共通、どこの国でも子供たちはとてもかわいい。特にネパールの子供たちの無垢で純粋な笑顔といったらない。またこちらの子供たちはとてもアクティブである。真冬にサンダルで外を駆け回り、裸足で木登りを始める。どこへ行くにもゲームを持ち歩く日本の子供たちとは大違いである。ホストファミリーや近所の子たちと戯れたあとはお待ちかね、サリジャで初のダルバート。お客様へのもてなしの意味があるのか、日本人は大食いと言う印象があるのか、ご飯の量が半端ではない。普段私が日本で食べる量の3~4倍はあるだろう量のご飯が毎回出される。“プギョ!”といっても“タルカリー”といって進めてくれる。ダルバートと共に飲んだ絞りたての牛のミルクの味もたまらなくおいしかった。
 サリジャでの生活は、私の日本での生活のように漠然と忙しい毎日は過ぎて行くようなものとは違い、朝、日が昇れば皆起きだし、日が暮れると外で遊んでいた子供たちは家に戻ってくる、のどが渇けばチアを入れみんなで飲み、夜が更けると皆床につく。私たち先進国の人々のように、時間に支配されることなく、物事の中で時間を捉えているようなとてもゆったりした生活だった。村人たちは貧しい生活ではあるけれど、自分たちの生活に満足し村人全員が助け合い、毎日をいきいきと過ごしているように見えた。
 しかし、グローバル化の影響がネパールの山奥まで届いているのか、20~40代の働き盛りの男性が中近東に出稼ぎに出てしまい、村にいるのは女性と子供や学生、年をとった男性である。村を中心になって支え、発展させていく年頃の男性が村にいないというのは村にとって大打撃であり大問題である。この問題は日本の地方の過疎か共通する部分があるだろう。かたや発展途上国、かたや先進国で同じ問題を抱えていることがとても不思議であり、また親近感が沸いた。
 今回の旅で、私たち日本人は先進国としてアドバイスできることもあり、また逆に発展途上国であるネパールからアドバイスされるべきこともあるということを強く感じた。私たちは私たちが先進国となるまでに歩んできた歴史から、環境への配慮や産業発展の専門知識などを教えること、ネパールからは先進したからがゆえに私たちが忘れてしまっている自然と共に暮らす大切さ、家族と過ごすことの大切さなど、多くのことをお互い学び合える。お互い教え学びあいよりよい友好関係もと、今以上のよりよい未来ある生活を営んで生きたい。そんなことを2週間という短い旅の中で痛切に感じた。ネパールというすばらしい国を再び訪れる日が待ち遠しい。(学生)


旅が終わったとき、私はすっかりネパールのファンになってしまった

ミーティング

 私にとって、今回のネパールでのフィールドワークの旅は驚きと感動の連続だった。この旅に参加する以前はネパールについて知っていることはエベレストがあることぐらいだったけれど、旅が終わったとき、私はすっかりネパールのファンになってしまった。
 今回の旅では、日本にいては知ることのできないネパールの現状を知ることができ、ネパールが直面している様々な問題の深刻性を肌で感じた。特に環境破壊がひどかったことが私にとってとても衝撃的だった。首都カトマンドゥの空気の汚さ、ゴミが道端に散乱している様子などにはとても胸を痛められ、山村の森林が伐採され山の斜面がむき出しになっている景色を見て、私たちに何かもっとできることがあるのではないだろうかという気持ちになった。  ネパールの現状を目の当たりにして大きなショックを受けたけれど、その一方でこの国の持つ独特の魅力にとても惹きつけられ、もっともっとこの国について知りたいと思った。誰に対しても笑顔で「ナマステ」と手を合わせて挨拶をするネパールの人々にはすぐに親しみを感じることができたし、また様々な民族の人々が共存する様子はとても感動的だった。
 何よりもサリジャ村での村の人々との交流は一生涯忘れることのできない大切な思い出だ。ホームステイをしたサリジャ村では日本ではめったに経験することができないようなことばかりを体験できた。私たちがサリジャ村に到着すると、村の女性たちが伝統の踊りを披露してくれ、またラリーグラスの花輪を首から掛けてくれた。私はその村の踊りの美しさ、華やかさに感動し、また彼らの温かい歓迎のもてなしに心を打たれた。伝統の踊りが若い女性たちにきちんと受け継がれていることにも感銘を受けた。ホストファミリーの人たちはとても親切で、ネパール語をいろいろ教えてくれたり、ごはんのおかわりを何度でも進めてくれたりと、言葉の通じない私を笑顔で温かく迎えてくれ、彼らとの交流はとても楽しかった。
 電気のないサリジャ村ではお風呂に入れなかったり、夜暗闇の中で過ごさなければならなかったりと最初は慣れない環境に少し戸惑いを覚えたけれど、村での生活を続けるうちにその生活に慣れてしまい、不便ながらも、ゆったりとした時間の流れる村の生活にとても魅力を感じた。逆にスイッチひとつで何でもできてしまう日本は、日々の生活が便利になり過ぎてしまっているのではないかと日本に帰ってきた今思う。日本でずっと生活していてはこのようなことには気付きにくいので、そういった面からも、サリジャでの生活は本当に貴重な体験だった。
 子供たちのとびきりの笑顔は今でも目に焼きついていて、もう一度会いに行きたくなってしまうほどだ。小学校で子供たちと折り紙や鬼ごっこをして遊んだけれど、みんなすごく元気で、楽しそうにはしゃいでいて、なんて純粋な子たちなのだろうと思った。
 ネパールは貧しくて様々な問題を抱えているけれど、日本人が失ってしまった素朴な温かさ、純粋さが残っていると思った。それはネパール人の心の豊かさでもあると思う。あの子たちの未来がいったいどのようなものになるのか、今後ネパールがどのように発展していくのか、いつかネパールを再び訪れたとき、どのように変化しているのかがとても気になる。貧困や公害など様々な問題を抱えたネパールを私も何らかの形で支援していきたいと思った。(学生)


忘れられない、家族との思い出

家族

 今回のスタディー・ツアーで私達はサリジャ村とナンギ村を訪問した。サリジャ村では植林体験・学校・織物工場を見学し、ナンギ村ではインターネット施設・学校・養殖施設・製紙工場などを見学した。IHCの支援が終了したナンギ村と支援を始めた段階のサリジャ村とを比較することで、このIHCが行っている支援の大切さを実感することができた。
 ナンギ村ではロッジで2泊し、現地の人たちとは直接会話をする機会が少なかったのに対し、サリジャ村での3泊はホームスティ体験ということもあって、現地の人たちや家族の温かさに直に触れ合えるいい機会となり、私にとって忘れられない思い出となった。
 私が滞在した家は、祖父・父親・母親・息子・姑・孫娘の4世代6人の家族構成だったが、息子は数年前にアブダビへ出稼ぎに行ってしまったため5人で暮らしていた。そして偶然にもその息子と私は同い年だった。そのこともあってか父親のティルさんは私のことを「チョラ(息子)」と呼び、私より一つ年下で姑のコルポナさんには本当の妻のように世話をしていただいた。家族の方々は私に「ニュー ファミリー」と言って温かく迎え入れてくれ、私は人見知りの性格にもかかわらず、すぐに家族に馴染むことができた。
 サリジャ村生活の一日目と二日目は、ホームスティ先の家族の従兄弟のジィット(17歳)とオニル(14歳)が私の身の回りの世話や村の案内などをしてくれた。英語が好きなオニルは私にネパールの農具や絵を持ってきては説明してくれ、おとなしいジィットは横からサポートする。彼らとはバスケットボールや折り紙をして遊んだりもして、片言の英語で多くのことを話し、最後にはお互いにベストフレンドだと言い合った。
 二人に寺を案内してもらった帰り道のことだった。オニルが「日本は裕福だ。日本はナイスな国だね。でも、ネパールは貧しい」と私に言った。私は曖昧に相槌を返すだけで、何と言えばいいのか分からなかった。それは単に日本を褒めるようなつもりで言ったのかもしれない、でも私はその一言を聞いて様々な想いが頭を過ぎった。彼らは先進国日本から来た私を見てどういうことを感じているのだろう。私の心の中では「日本は裕福だが、社会に束縛されすぎてるせいか日本人を見ても幸せそうにみえない、サリジャの人をみていると大らかで、日本の人よりずっと幸せそうに、楽しそうに生きているようにみえる」と感じていて、逆に羨ましくも思っていた。だがそれは私の間違った見方であり、実際サリジャ村では多くの家庭に電気が通っていないし、ガスもテレビもなかった(例外もあって、私のホームスティ先にはなぜか電気がついていたのだが)。そして、村では働き盛りの男性の姿をあまり見かけなかった、多くの男性は出稼ぎに行っているからだ。この村の多くの男性が外国に出稼ぎへ行くようにジィットやオニルも数年後にはこの村から離れて異国で働くのだろうか。彼らは村を離れて何年も外国で働くことを望んでいるのだろうか、そうではないと思う。
 サリジャ村を出発する日の朝、コルポナさんは私の前に手作りの籠とラリグラスの花を持ってきて「これをあなたにプレゼントします。サリジャのことを忘れないで」と言った。私は忘れないことを約束して受け取った。最後に彼女は「あなた達日本人がここで行っていることはとても素敵なことです、私達は嬉しいです」と言った。サリジャ村の人たちはIHCのプロジェクトに対して前向きな意志を持っていたし、私達日本人を温かく受け入れてくれた、そのことが嬉しかった。
 この植林活動を活かして、育てた木からサリジャ村独自の紙製品や布製品を創り出し、サリジャ村が自立して、彼らが出稼ぎを頼らずにサリジャ村で働けるようになってほしい。
 私はサリジャ村、ナンギ村、ネパールを忘れない。またいつかネパールに行きたい。そのときはサリジャ村とナンギ村を訪問したいと思う。


忘れられない、家族との思い現金収入を伴う産業開発が必要である出

 今回ツアーに参加させていただき、途上国のさまざまな環境側面を知ることができた。ひとつは自然環境。それから労働環境や教育環境などである。そしてそれらは、全て切り離せない要因として、山岳民族の生活に直結していた。  ネパールの自然環境について、これまで全く無知だったためか森林の少なさに大変驚いた。人類が高い所まで生活圏を移動していき、それに伴い森林が切り開かれていったわけだが、想像以上の山の姿だった。車窓から見るだけで一目瞭然であった。
 労働環境においても、最初に訪れたサリジャ村で、歓迎の踊りの男性パートを、男装した女性が踊っているのを見て、本当に若い男性がいないのだと痛感した。日本の過疎村と同様であるが、発展していかない典型的なケースである。
 教育環境については、村により修学年数が違うという先進国では考えられない状況であった。しかし、今回訪れたサリジャ、ナンギ両村については、子どもは全員修学しているということで、おそらくネパール山岳民族の中でも修学環境は整っている方であろうと想像できた。
 これらの問題を一気に解決することは不可能だと思うが、これら全てに関連してくるのが、現金収入を伴う産業開発であろうと感じた。そういった意味では、IHCが取組んでいる活動は合理的であると思った。IHCの主とする活動である森林再生は、今のネパールをはじめ隣国のインドまでをも含めた環境保全である。また、ミツマタなど紙作りに欠かせない種の植林も、里山再生、そして持続可能な産業に向け必須の取組だと感じた。
 そういった取組が進んでいくと、徐々にではあるが村に職が生まれ、出稼ぎに行かなければ生活ができない家庭も、少しずつ減少していくように思える。人の流出が抑えられれば、人材育成や農地放棄といった問題も、解消傾向になるだろう。
 教育環境は、その差があることに今はあまり表面化していないのかもしれないが、この先急激に差が出てくる気がしている。まず、現在の40代以上の人はかなりの割合で英語教育を受けていないことに気づいた。現在の学校では、日本でいう小学校1年生から学ぶことができる。実に親子2世代だけでもこれだけの差がある。アジアの途上国の多くに言えることかもしれないが、以前は特に女性に就学機会が薄かったようにも感じた。この先修学年数に差があり、さらにその上の修学に差が発生し始めると、就学機会の問題とはまた違った問題が浮上してくるに違いない。  産業開発はこれらの問題に直接リンクする対応策であるが、ややもすれば国内格差を広げることにも繋がりかねない。しかし、進めていかなければ打開には繋がらず、産業インフラ(特に販売経路)を含め着手しなければいけないと感じた。(ネイチャーガイド)

苗畑
あらたに建設した苗畑

ヒマラヤ保全協会は苗畑を建設し、苗木をそだてて植樹しています。昨年は、約4万5千本の木を植樹しました。人物は苗畑管理人です。
 ヒマラヤ保全協会は、ヒマラヤ山麓の村々で、自然環境や文化の保全、村づくりなどを村人とともに約30年間にわたっておこなっている国際協力NGOです。
ネパールの子供たち
サリジャ村の子供たち

村では、まずしくともたくましく生きる子供たちに出会うことができます。
ダルバート
ネパールの伝統食“ダルバート”

ネパールの伝統食“ダルバート”を堪能しました。ダル(スープ)、バート(ごはん)、タルカリ(野菜カレー)、サーグ(野菜炒め)、マス(肉料理)、アツァール(つけもの)からなります。

ネパールに初めて行かれる方、大歓迎!

ネパールに初めて行かれる方、大歓迎です。ヒマラヤ保全協会は、スタディツアー/エコツアーに長年にわたりとりくんでいます。経験豊富なスタッフがご案内しますので安心です。

スタディツアーよくある質問

Q1 ホームステイする村では、どんなことをするのですか?

A 村の皆さんと似たような生活をして、ネパールの家庭料理を食べ、気楽に交流します。滞在中は、ヒマラヤ保全協会の事業地見学、植樹、村内見学、地元の学校訪問などを予定しています。また、ツアー参加者の希望もとりいれて、村人との交流イベントもおこないます。このようなことを通して、楽しみながら、ネパールやヒマラヤについてよく知っていただくことができます。

Q2 ネパールの気候はどんな感じですか、服装はどうすれば良いですか?

A 朝晩で寒暖の差がはげしいです。夜や高所では、ジャケットなどの防寒着が必要です。調節できる重ね着が基本です。ネパールの緯度は日本より南ですが、標高が高いので(カトマンドゥは1300m)、中間山地では、結果的に日本と同じような気候になっています。

Q3 一人でも参加できますか? 参加者層はどんな方々ですか?

A お一人でも参加できます。大多数の方はお一人で参加されています。高校生、大学生、社会人、主婦など多彩な方々が参加しています。中でも20〜30代の女性や退職後の熟年層が元気です。ぜひ、違う世代や仕事以外の友人をつくるチャンスにしてください! また、毎回半数近くが首都圏以外からの参加者(北海道から九州まで)です。今回も、全国各地からの参加者お待ちしております!

Q4 ホームステイ中、日本語しかしゃべれないので不安なのですが・・・。

A ヒマラヤ保全協会のスタッフが同行し、通訳をしますので安心してください。家庭では、カタコト英語やネパール語が中心になります。ぜひ異文化交流にチャレンジし、思い出のウルルン体験をしてください。もちろん、困った時はすぐにスタッフを頼ってください。

Q5 村での生活環境はどんな具合でしょう?

A ネパール人は概して歌や踊りが好きで、人なつっこい人々といわれています。多くの人々は農業を営んでいますが、商売や勤め人もいます。電気や水道は一定ありますが、量も質も日本ほどは安定していません。トイレは別棟になることもあります。素朴で親切な村人のもてなしが、きっと最高の思い出になることでしょう。

Q6 予防接種は必要ですか? 健康管理の注意はありますか?

A 法的には必要ありませんが、体調を整えての参加をお願いします。健康管理は、各自一人一人の心構えが基本ですが、当会スタッフのアドバイスにしたがってください。生水は絶対に飲まないで、ミネラルウォーターか沸騰させたお湯を飲んでください。生野菜も食べないでください。

Q7 ホストファミリーにお土産は必要ですか?

A ホームステイ先には、食費などの必要経費はヒマラヤ保全協会から支払いますので必要ありません。ただし、気持を伝えるために、簡単なプレゼントをすると喜ばれるでしょう。その際は経済的な価値のあるものは避け、日本のお菓子、日本文化を伝える絵はがきなどがよいでしょう。家族・友人の写真などを見せるのもよいでしょう。

Q8 ツアー中、お金はどのくらい必要ですか?

A 日程表に記されている回数の食事は参加費に含まれています。これ以外の食事と、飲み物は各自負担になります。ネパールの物価は安いので、観光地で食事をしても日本の1/4~1/2程度で十分間に合います。日本へのおみやげも手工芸品などは手頃な値段です。その他、旅行条件に載っている空港税やビザ代などが若干かかりますので、各自ご確認ください。

Q9 ツアー前後、ネパールに滞在できますか?

A 団体行動が原則ですが、ツアー終了後に限ってご相談に応じます。滞在延長に関わる経費負担や、万一の際の責任の所在は参加者個人に属しますので、あらかじめご了解ください。飛行機の予約などご希望に添えない場合がありますので、お早めにご連絡ください。

Q10 ネパールの治安はどうですか?

A 現在、ネパールの情勢はとても安定し、治安はかなりよいです。夜おそく出歩かないなど、基本的なことをまもっていればまったく問題はありません。ご安心ください。


・渡航先の衛生状況については、厚生労働省「検疫感染症情報ホームページ」でもご確認ください。
・渡航先(国又は地域)によっては、外務省「海外危険情報」等、国、地域の渡航に関する情報が出されている場合があります。お申し込みの際に販売店より「海外危険情報に関する書面」をお渡しします。また、「外務省海外安全ホームページ」でもご確認ください。