1953年 |
文化人類学者(あるいは民族地理学者)の川喜田二郎が、第一次マナスル登山隊の科学班員としてネパールを調査する。 マナスルについてくわしく見る > |
1963年 |
川喜田二郎がネパール・ヒマラヤで学術調査をおこない、近代化や人口増加、出稼ぎ急増などによる森林の荒廃や地滑りの多発、水質の悪化などの環境問題と、薪や水運びの苦労といった住民の生活苦の問題を認識し、技術協力の必要性を痛感またそれを決意する。 |
1974年 |
ヒマラヤ保全協会の前身となるヒマラヤ技術協力会を発足させ、ロープライン(薪や家畜飼料などの荷下ろしのための軽架線)とパイプライン(衛生的な水を供給する簡易水道)を設置するプロジェクトを開始する。 |
1984年 |
それまでの技術協力の成果がみとめられ、川喜田二郎が、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞する。 |
1986年 |
ネパール・マヘンドラ国王自然保護基金の日本委員会としてヒマラヤ保全協会を設立する。 |
1992年 |
総合的な環境保全と地域活性化のプロジェクトである「アンナプルナ総合環境保全」プロジェクト(5ヵ年計画)を開始する。第1回ネパール山岳エコロジースクールを開催する。 |
1993年 |
ヒマラヤ技術協力会とヒマラヤ保全協会が合併し、新生ヒマラヤ保全協会が発足する。 |
1997年 |
「アンナプルナ総合環境保全」プロジェクトの第2フェーズ(3ヶ年計画)を開始する。 |
2000年 |
ヒマラヤ保全協会が特定非営利活動法人として東京都から認証される。 |
2001年 |
「ミャグディ郡地域活性化」プロジェクト(3ヵ年計画)を開始する。 |
2003年 |
水野正己(日本大学生物資源科学部国際地域開発学科教授)がヒマラヤ保全協会会長に就任する。 |
2004年 |
ヒマラヤ技術協力会~ヒマラヤ保全協会の30年間の活動を評価する。約1500ヘクタール(東京都渋谷区の面積に相当)の森林が再生されたことを確認する。 |
2005年 |
新プロジェクト地を開拓し「生活林づくり」プロジェクト(3ヵ年計画)を開始する。 |
2007年 |
現地協力団体であるヒマラヤ保全協会ネパール会長のマハビール=プンが、長年の功績をみとめられ、マグサイサイ賞を受賞する。ヒマラヤ保全協会からは二人目の受賞となる。 |
2009年 |
新規3ヵ年計画として生活林プロジェクトとエコプロジェクトを開始する。ヒマラヤ植樹・目標100万本を明確にうちだす。 |
2011年 |
ダウラギリ・プロジェクト(生活林づくりを通した山村復興支援プロジェクト・5ヵ年計画)を開始する。 |
2012年 |
1ヵ年のプリテストをへて、ソルクーンブ・プロジェクト(新規植林プロジェクト)を開始する。 |
2013年 |
ヒマラヤ保全協会が認定NPO法人として東京都から認証される。 |
2014年 |
ヒマラヤ山麓100万本の植樹を達成する。(1996年より通算 1,065,679本) |
◆ ヒマラヤ保全協会の森林保全事業のあゆみをくわしく見る >